会長あいさつ
更新:2004年6月22日



 このたび、東京外国語大学で開催されました日本文化人類学会総会において、私が会長に選任されました。会長就任の挨拶を申し上げるとともに、本年4月より学会の名称が『日本民族学会』から『日本文化人類学会』に変更されたことについてご案内を申し上げます。

2004年6月6日

日本文化人類学会会長(第21期) 加藤泰建

<会長就任にあたって>

 このたび、日本文化人類学会の会長という大役を、仰せつかりました。たいへん光栄なこと、身の引き締まる思いで、お引き受けさせていただきます。
 ご承知の通り2004年4月から国立大学が法人化されました。日本の大学は公立、私立を含めて大きく変わろうとしています。文部科学省が明治以来の大学改革というのは、けっして大げさな表現ではありません。今、大学はその存立そのものが問われています。
 また、本年4月には日本学術会議の抜本的な法改正が行われました。大学改革が研究と教育の現場の話とすれば、これは日本における研究者の役割、研究者の在り方についての大改革といえます。新しい学術会議は科学者アカデミーとしての役割を持ち、科学者コミュニティーである諸学会と連携していくことになります。学会は、従来の登録学術団体ではなく、あらたに認知される連携学会として学術会議と関係を持ちます。学術会議の改革は必然的にそれぞれの学会のあり方を変えていくことになるでしょう。
 とりわけ関心を払うべきことは、わたしたちの学会がいかなる学問領域の学術団体として認知されるかという点です。実際に、学問領域の再編成、領域の大括り、新領域の設定などが議論されていますが、これはわが国の学術のあり方をめぐる根本問題にかかわってきます。わたしたちが研究している学問領域を学術全体の中でどう位置づけるのか、まさに学会が主体性をもって検討し、主張していくことが重要です。大学の再編、学術の再編という大きな流れに埋没することなく、今、わたしたちは学会名称の変更を機に、文化人類学という学問領域を積極的に主張していくことが必要だと思います。
 この間、本学会員の数は急増しており、6月現在で会員数は2060名になっています。今年の研究大会における参加者数、発表の状況を見ても、学会としてはあきらかに活性化の方向にあり、とりわけ若い研究者、大学院生の活躍が目立ちます。その点だけを考えれば学会の将来は明るいかに見えますが、それとは対照的に、国立大学を始めとする大学教員ポストの数はあきらかに削減の方向に進みつつあります。次世代を担う若い研究者の研究教育の場をどのように確保するのかは大きな問題です。これは、個人レベルの努力だけではなく、研究者集団としての学会が総力を挙げて取り組むべき課題であると思います。つまり、学会の機能、学会の役割を変えていく必要があります。研究成果を発表し、互いに研鑚を積む場というだけではなく、わたしたちの学問と、その具体的な成果を、外に向かって積極的に主張していくことが重要です。このような活動が、わたしたちの学問の場、研究教育の場をきちんと確保し、将来のさらなる発展を保証することになると思います。
 学術をめぐる全体動向は不透明というしかありませんが、事柄が急速に進行しているのは事実です。対応が後手にまわるようでは、けっしてよい方向には進みません。積極的に、最善、あるいは次善の方策を考えていく必要があります。今は、既得の権益にこだわった守りの姿勢ではなく、将来をきちんと見据えた積極策の方が求められているように思います。
 したがって、学会の運営にあたっては、なによりも的確な判断を、しかも迅速に行っていくことが大切です。すくなくとも慣例にしたがって粛々と運営すればよいという状況ではありません。そのようなことが、はたして私にできるのか自信はありませんが、やらなければいけないという自覚は持っています。私自身、これまで比較的よき時代に研究者としての生活をエンジョイできたのも学会の諸先輩による努力のおかげです。たとえ微力でも学会という場で私にやるべきことがあるのなら、少しでもお役に立ちたいという気持ちで会長職を引き受けさせていただきました。理事の方々と協力し、なによりも学会員の理解を得ながらがんばっていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

<日本文化人類学会への名称変更について>

 本学会の目的は、会則に定められているように、人類の文化を研究する文化人類学、社会人類学、民族学などの発展と普及を図ることにあります。日本におけるこれらの学問研究の歴史は、明治中頃にまでさかのぼりますが、正式に学会を組織したのは1934年のことです。当時の先人たちは「民族学」の名で活動しておりましたので、学会も『日本民族学会』と命名しました。その後、戦時を挟んだ変動期を経て、日本民族学会は学術の使命と研究者の良心に従って研究と教育、知識の普及に努め、その努力が広く社会に受け入れられて、大学における研究教育の場も広がってまいりました。また、会員数も現在では2000名を超える大きな組織となり、わたしたちの研究分野は着実に発展してきたといえます。
 この間、わたしたちの主たる研究対象である諸民族・諸社会さらに世界全体の文化状況は、大きく変転し、それに応じて研究者の方でも研究関心を多様化させ、「民族学」よりもむしろ「文化人類学」という包括名で研究成果を公表する会員が増えてきました。現在では、大学など研究教育の場のみならず、出版界やジャーナリズムでも、一般に「文化人類学」の名で知られるようになっています。
 このような研究者の自己認識や社会的認知と学会の名称が必ずしも合致していないという状態については、かねてより学会内で議論し、検討してまいりました。他方で、近年では日本における学術研究の環境が大きく変わり、学問領域の再編成が急速に進行しています。現に2004年4月には日本学術会議が法律改正によって新しい組織として生まれ変わることになり、また国立大学も国立大学法人という新しい組織に改編されました。本学会が、昨年度の総会において名称の変更を決定し、本年4月から『日本文化人類学会』となることは、このような日本の学術をめぐる全体動向を見据えた決断でもありました。
 今回の決定は学会の名称のみを変えるものであり、その他の制度的属性を変えるものではありません。日本文化人類学会は、過去70年の歴史を刻んだ日本民族学会の総体を、きちんと継承してまいります。学会と歴史を共にしてきた機関誌も『文化人類学』と改題されますが、これまでの『民族學研究』の巻号を受け継いでまいります。
 今回の学会名称の変更は、文化人類学(民族学)の中ですでに進行していた変化を反映したものであるとともに、急速に変動しつつある日本の学術環境に対応していく一つの選択でもありました。21世紀にはいった現代世界において、人類が直面しているさまざまな課題を考えるとき、わたしたちが掲げる目標、人類文化の在り方を専門的な視座から調査研究し、文化の理解を通して広く人類社会に貢献して行くという目標は、ますます重要になっています。今回の学会の名称変更を機に、日本文化人類学会はこれまで以上に積極的な活動を展開していく所存です。関連諸分野、関連諸機関、一般社会の皆様のご理解とご支援をお願いいたします。